――ぞろり
また、動いた。
直接見たわけではないが確かに今視線を感じた。
自分の背中をねっとりと見つめているそれを。
「何なんだよ、お前……」
宗太は後ろを振り返り自分の財布を見下ろす。
あの中には、一度しか出したことの無い一万円札が入っている。
なぜ一度しか出したこと無いのか?
それは、福沢諭吉の目が動いたからであった。
*
事の発端は数日前に遡る。
大学一年生の宗太が一人暮らしを始めて暫く経った日。
部屋の小さな仏壇に供えてあったコンビニのバイトの初任給を下ろした。
去年死んだ母の仏壇だ。
数万円入った封筒を仏壇から下ろし、一枚だけ財布に入れようとした。
その時であった。
手にした万札の諭吉と目が合ったのは。
最初は偶然自分から目を合わせたのだろうと思っていたが、どうも違う。
まさかまさか。
汗が背中手足顔全てからどっと吹き出した。
頭のどこかで警鐘が鳴っていたが、恐る恐る自分の視線を動かしてみる。
右へ左へゆっくりと。
すると、
――ぞろり
やはり諭吉の目も動いた。
*
目が動くのを事実として認識した時の、恐怖と驚きは声にならないもので。
本当に恐ろしい時人間は声が出ないというが、まさしくそうだということを宗太は実感した。
思わず手元にあった財布に仕舞いこんで以来、その一万円札は出してない。
だが、仕舞うだけでは解決しなかった。
財布の中で目が動くのを感じるのだ。
学校へ行く時、朝起きる時、……そして風呂から上がった今も。
宗太が動くたびに、それを追うかのように目が動いてるのが感覚でわかる。
一挙一動見逃さないようにどこまででも目が追ってくる。
きっと財布の中の諭吉はどこにでも見る万札の諭吉の顔なのだ。
和服を着て、口をきゅっと引き締め、知性を伺わせる表情。
ただ、目だけが動いてる。
無表情で財布の革越しにこちらを見つめている。
「何なんだよ、お前……」
震える唇で呟いた。
風呂上りのせいではない、喉の渇きが彼を襲う。
誰かに相談すれば良かったのかも知れないが、それも出来ない。
なぜなら他の人間には動いてるのが見えないからだ。
実は昨日、学校でご飯を食べている時にさりげなく隣の友人にその万札を取り出させようとした。
直接言ったほうが簡単だろうが、信じてもらえるかどうかもわからない。
それにもし自分にしか動くのが見えないのなら、入りたての大学で変な噂を立てられかねない。
それだけは何としてでも避けたかった。
なので、一計を案じてこう言った。
「トイレへ行って来るから財布を預かってくれないか。ついでに前借りた千円を抜いて
もらっておいていいから」
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